2019年

6月

20日

訂正・大黒天ちょうちん

今年の大黒天・恵美須天のちょうちんは、恵美須天様のぶん

あと2つのみとなりました

ご希望の方はお早めにお申し込みください   拝

2019年

6月

19日

今年の御嶽山夏山登拝について

今年の御嶽山夏山登拝は、黒沢口から登拝、頂上参拝することになりました

 

4年ぶりに頂上を踏ませて頂く事を心待ちにしております

2019年

6月

12日

諏訪大社参拝

9日、10日と年毎の諏訪大社参拝を仕えさせて頂きました

 

今年も48名の大勢で参拝が叶い、下は0歳から上は85歳までの方が徳を積み、徳と共に真願・心からの誠の願いをお誓いして頂きました

 

令和と御世が替わり、国や御信徒の暮らしも変わっている様をひしひしと感じておりますが、変わりなく徳を積んで参りたいと存じます                 拝

2019年

5月

31日

慰霊大祭

5月28日 年毎の慰霊大祭を仕えさせて頂きました

 

御信徒各家の先祖や霊神様の御慰霊をも仕えさせて頂きました

 

御世代わりの節目の慰霊大祭で久しぶりの雨の中 つつがなく神事が仕えられました

今年も神様と先祖の両輪で我々は歩んで参りたいと存じます

                       拝

2019年

5月

31日

三徳山 大山 英彦山登拝のようす

ブログで紹介した三徳山、大山、英彦山登拝のようすです

3年間は二人だけの登拝ですのでなかなか話しても伝わりにくいところは、動画で御覧になって頂けたらありがたく存じます   拝

2019年

5月

28日

三徳山 大山 英彦山登拝 2

英彦山

比古、日子山、彦御山と呼ばれていたが、弘仁十年(八一九)法蓮上人が嵯峨天皇に「法蓮は邦家の彦、また是本朝の仙なり」と称えられ、「彦山」に改めたとされる。

江戸時代、享保十四年(一七二九)に霊元法皇の院宣によって天下に遍く霊験の勝れた山として「英」の字を賜り「英彦山」と記すようになった。銅鳥居の英彦山の額は勅額である。

 

開山伝承

(神道)北岳に先住神の大己貴神が三女神(田心姫、タギツ姫、市杵嶋媛)を伴い鎮座していたが、山名の起源とされる天照大神の御子(日子)アメノオシホミミノミコトにその座を譲り輔弼神として南岳にイザナギ、中岳にイザナミが天降ったとされる。

(仏教)百済からの仏教伝来以前に、北魏の孝荘帝皇子の善正が出家し、渡来して英彦山の岩窟で修行し猟師に殺生を戒めていた。ある日、猟に来た藤原恒雄の射倒した白鹿が三鷹の介護で蘇生した奇跡に罪を悟り、弟子・忍辱(にんにく)となり、私財で祠霊山を建て善正の奉じる異域の神を祀ったのが宣化三年(五三八)であるという。

(修験道)役行者が伊豆大島への流刑を許された大宝元年(七〇一)、老母を伴って英彦山に飛来し、不老不死の薬をもつとされた中国の女仙・西王母を尋ねて再び英彦山に至り、やがて熊野へ向かったという。

 

英彦山では仏教に道教の神仙思想の影響が見られ、御符や製薬にも神仙思想を色濃く伝えている。

 

英彦山四十九窟→弥勒浄土の兜率天四十九院に擬して形成された

英彦山三所権現

主神 北岳 法躰権現 本地・阿弥陀如来 天忍穂耳命

   中岳 女躰権現 本地・千手観音  イザナミ命

   南岳 俗躰権現 本地・釈迦如来  イザナギ命

英彦山豊前坊 善正上人 忍辱上人(にんにく) 役行者

 

中世、後白河法皇の御世 養和元年(一一八一)、畿内二十八荘園を新熊野社の維持のため寄進したが、その中に英彦山があり、熊野信仰と結ばれる。大廻り行として回峰行が儀礼化している。

鎌倉・南北朝・室町と経て権力者の庇護と独自の権益を得て、また南北朝の争いにより吉野での回峰が困難となったので、各地の霊山での大峯になぞらえた回峰修行が盛んとなった。

室町期には、近世まで続く一山組織が形成された。衆徒方(天台)、惣方(神道)、行者方(修験道)それぞれにて法会や峰入りが行われていた。(能・謡曲の「花月」の題材になる)

戦国期に入り、永禄十一年(一五六八)肥前・龍造寺隆信と天正九年(一五八一)に豊後の大友宗麟の焼き討ちで全山焦土と化し、天正十五年(一五八七)秀吉の九州制覇で英彦山神領は悉く没収され、その直後に座主・舜有も急逝するなどで中世英彦山の繁栄は終焉した。

 

幕藩体制の下、慶長六年(一六〇一)豊前小倉藩主細川忠興は、養子忠有を英彦山座主に推挙し、同時に千百石を寄進、天和二年(一六一六)に霊仙寺大講堂(現・英彦山神宮奉幣殿)を再建する。

肥前佐賀藩主鍋島勝茂は、元和九年(一六二三)に銅鳥居を表参道に建立する。

この最盛期に京都聖護院は、英彦山を末山と主張し、英彦山は幕府に訴訟して元禄九年(一六九六)に勝訴して、「天台修験別山」と公認された。

 

凡聖同居土 ぼんしょうどうこど 僧俗混住で産屋がある

方便浄土  ほうべんじょうど  宿坊のある聖域で出産禁制

実報荘厳土 じっぽうしょうごんど 修行に専念して報われる浄土

常寂光土  じょうじゃくこうど 神仏の永久絶対的浄土

 

全域で殺生や稲作を禁じたが女人禁制ではなかった。

 

天明から明治維新にかけて度重なる飢饉と火災、疫病により信仰圏からの布施が激減し、戸数や人口も減少していった。幕末になると攘夷派の長州藩と佐幕派の小倉藩が対立、英彦山内も二派に割れたが、英彦山内の尊皇派の蜂起を懸念した小倉藩が英彦山を占拠し、座主をはじめ山伏十数名が連行された。座主は年内に帰参、しかし八名は獄死。

 

直後の明治維新と神仏分離令、権現号の停止、明治五年(一八七二)の修験宗廃止令で伝統的な英彦山一山組織は崩壊した。

 

大山を下山して英彦山へは高速道路を使っても6時間半かかります

 

手前の香春(かわら)市のホテルにて宿泊

 

翌24日 快晴の下 5時半に出発

銅鳥居の脇に駐車していよいよ英彦山登拝を仕えます

 

鳥居脇に大行事神が祀られてあって、ふらちな者が入山しないか見張る神様ですので拝礼

700メートルほどある立派な石畳の参道は、明治以前は両側に坊が立ち並んでいて200坊、3000人が居住していたそうです

 

奉幣殿こと英彦山神宮にて登拝の旨と御守護を祈願して、殿の裏手より高住神社へ向かいます

この神社は英彦山豊前坊という天狗様が本尊で、人間を訓すために家に火を放ったり、子供をさらったりしたという恐ろしい方です

拝礼、祈願を捧げ終わったら、社務所の女性の方が居られて、私たちを見るなり「御嶽山からきたの?」とびっくりして急に感激し出しました

その方は、知り合いの先達に勧められて、今年の8月 一人で初めて御嶽山へお参りするとのこと

いろいろとお話を聞かせて頂き、神社裏の岩屋も案内して頂きました

 

神社までで、すでに一万歩以上歩いてきましたが、ここからが本番です

まずは北岳を目指して登拝 標高は高くないものの、大きな岩や木々が手つかずで素晴らしい道場だなあと感じました

 

途中、望雲台という行場を参拝 おそらくは覗き行をしたであろうその行場は鎖で登り降りる険しさ満点のところでした

 

そのあたりから道は険しくなり、頂上付近では鎖場もあってこのまま予定通りの登拝が出来るだろうかと大いに心配しながら、歩みを進めて行きました

 

奉幣殿から3時間半で無事に北岳に到着 御守護を御礼、祈願申し上げると気持ちも少し軽くなり、次の中岳を目指します

英彦山は北岳、中岳、南岳のこぶのような頂上が三つ並ぶ山容ですので、一度下ってまた中岳直前はきつい登りです

 

30分ほどで中岳に到着 殿内には他にも4つほどの講社がひでを奉納しておられました

 

8分で南岳に到着 立派な英彦山本尊の石像がありました

 

いよいよ下りの道です 南岳から鬼杉、大南神社を経て玉屋神社、奉幣殿へ戻りますが、下りも鎖の連続でたいそう急な道でした このあたりではさすがに疲れも出てきてフラフラになってきました

 

御守護の下 予定していた行場すべてを拝礼し、南岳から3時間で奉幣殿へ無事に帰着

 

長い参道を下って銅鳥居を出て、初めての三山登拝を無事に満行させて頂きました

 

どの山も徳を積むにふさわしい稜威をたたえる素晴らしい御山です さりながら廃仏毀釈や人の移り変わりで水はあるけれども蛇口が閉まっているような感じも受けました

ひょっとしたら、開山祭前に登拝させて頂いたせいかもしれませんが(大山は6月の第一日曜、英彦山は5月26日)

 

三日間 天候の御守護を頂けた事は、各山の本尊様に少しは目に留めて頂けたかなと思っております 次回はもっと精進してより良い登拝行にしたいと存じます       拝

 

2019年

5月

25日

三徳山 大山 英彦山登拝 1

10年以上前でしょうか、神変大菩薩様より「日本のあまねく霊山を駈けさす」とお告げを頂いたことがありました

 

その時は、石鎚山や富士山も参った事はなく、そういう時も来るのかなと思って忘れておりました

 

平成30年10月の伏見稲荷山で、教祖霊神より「来年は御代替わりの節目、再来年は御神火の年、その翌年は開教110年に当たり、三徳山、大山、英彦山を駈けおくよう。これ役行者様や普寛様の御心なり」と急にお告げを頂き、この度 初めての山三座を駈けさせていただく事となったのです

 

三つの山を一度に参れとの事でしたので、三徳山~大山~英彦山~帰路 という案を作り、それにのっとって行程を思案していきました

 

明けて令和と御世が代わった5月22日 午前4時より教会を出発致しました

 

三日間の予報は快晴です 鳥取道を経てまずは三徳山へ

 

三徳山三仏寺

 本尊 金剛蔵王大権現 大日如来 文殊(勝手) 地蔵尊(子守)   不動 役行者

役行者が蓮の花弁三枚を投げたところ、吉野、石鎚、三徳山に落ちた。慶雲三年(七〇六)行者が来山して、麓で堂を作り法力でもって今の奥の院に投げ入れたので投入堂という。

 

三徳山の東側にある法師が滝という行場で水行をします

山中 風や鳥の声、流水の音しかしない中を水行をさせて頂きました 大峰山の龍泉寺なみの冷たさでした

 

その後、三徳山を目指します 入山料を納めるところで受け付けの方が「こちらの方と同行して頂けませんか?」と急に言われました

三徳山は険しい行場ですので、二名以上でないと入山できません 一人 奈良からきた男性が入山するために他の参拝者を待っていてそこへ私たちが来たわけです

 

私たちも初めてなんですよ~とやんわり断ったつもりなのですが、勝手にまとめられて同行することになりました

伺うと、奈良から来て定年になったから気ままに旅をしている70過ぎのおじ様でした

 

これも行者様の御心であろうと思いなおして投げ入れ堂へ登拝致します

 

おじ様は裸足にサンダル履きでしたのでもちろん登拝は不可です 700円のわらじを買って登らねばなりません

住所や緊急連絡先などを書いて入山致します

 

距離はそれほどでもなく1時間くらいで投げ入れ堂へ至るのですが、急峻な斜面や岩場があり、その道中に鐘楼や堂があって、よくぞこんなところに造ったなあと感心しながら登拝を致しました

 

投げ入れ堂はかつて7体の蔵王権現が祀られていて、入堂もできたのですが、痛みが激しいので今は手前で遥拝となります

お引き寄せを感謝申し上げて、天下国家を祈り、この三か年の後押し・導きをお祈り申し上げました

 

おじ様も無事に下山してこちらも安堵致しました

 

7体の権現像が安置されている宝物館を拝見して、御来屋へ向かいます 魚を許された道中ですので漁港にあるえびす食堂で昼食

 

いよいよ大山の行場へ向かいます

 

 

伯耆国会見郡 大山 

本尊 智明大権現(本地 地蔵菩薩) 下山明神(狐眷属)大日 弥陀 釈迦(旧三院の本尊) 金蓮上人(こんれんしょうにん)

大神山、大神岳とも呼ばれ霊山として崇拝されていた。

七一八年 養老二年 猟師依道(金蓮上人)が地蔵の導きにより殺生をやめて帰依し大山開山をなしたという伝承 二〇一八年が開山一三〇〇年

応和三年(九六三) 村上天皇より大智明権現号を下される

 

天台の支配以後、弥山禅定と法華千部会という登拝と写経の修行が引声会とともに重要な行事であった→廃仏毀釈後はもひとり神事として神社神職が水を弥山山頂の梵字が池に汲みに行く形になった

 

大山、三徳山ともに慈覚大師円仁の来山を伝え、共に弥陀、大日、釈迦を祀ったという

 

まずは里宮の大神山神社里宮へ 冬は積雪で奥宮参拝が難しいので里宮へお参りしたそうです 大社造りの立派な社殿でした お引き寄せと天下国家を祈り、これよりの登拝を御奉告申し上げました

 

続いて角盤山大山寺へ 兜率天の一部が崩れて落ちたのが大山といわれていて、角盤山の山号となったそうです

神仏分離以前は大山寺寺領は独自の権限があり、罪人が寺領に逃げ込んだら公儀は捕えることが出来なかったほど力のあるお寺でした

 

中学生が登山をしていて、こんにちは!と元気よく挨拶してくれる後に「すごいね、からす天狗みたい」と聞こえてくるのが微笑ましかったです よく「からす天狗」というワードを知ってるなと思っていたら、橋が天狗橋となっていました

うん、そう連想するよね

 

 

立派な参道と本堂、道端の地蔵尊も江戸期の銘があり大きな稜威を称えた御山だなと感じました 宝物殿に安置されてある仏像群はそれは立派なものばかりでした

 

宝物館に牛王宝印の版木があり、いまでも授与されていないか大山寺で伺ったところ、執事の方が対応してくださり、来年 来る前に連絡をくれたら刷っておくとの有難い対応をして頂きました

 

その後、時間があったので御嶽山に来てくれたリチャードさんを訪ねました ツアーガイドとして御来屋の魅力を発信してがんばっていました 御来屋は本当にのどかで大山と海に挟まれた素晴らしいところでした

 

宿泊は大山バックパッカーズです 自炊前提のペンションを改装したところです 22日は私たちだけでしたので快適にゆっくり休むことが出来ました

 

23日 朝食を作って5時半に出発 天気は快晴です

 

川原駐車場から大神山神社奥宮を参拝して行者コースを登拝致します

昔の智明権現社であり、立派な権現造りの社殿です

 

参拝後、脇の登山道を登っていきます 2名の方とすれ違った他は誰にも会わず登拝していきます

 

元谷の川原を過ぎたところから道は急になります

ブナの林の中を登って夏山登山道と合流し、そこからは頂上まで一本道です しかし合流から8合目までは急な段差の大きい道で、遮る木々もなくなってきつい道中でした

合流後は、登山の方も多く手を合わしていただいたり、写真をお願いされたりしながら登拝していきます

最近は富士山に次ぐ人気の山が大山だそうですよ

 

無事に弥山頂上へ到着 頂上は今は記念碑があるだけで剣が峰への道は鳥取地震で通行止めです

 

すこし下ったところにある梵字が池へ向かいます かつての弥山禅定や現在のもひとり(水取りの意)神事にて重要視されている池です

池の脇にある石室内のお社において天下国家をお祈りし、お引き寄せを感謝して今後の3年の守護をお願い申し上げました ほかにも碑伝(ひで 納める木札)があって少しほっと致しました

 

下山は夏山コースを経て阿弥陀堂へ向かいます

大山は裾野が広いので下山も時間がかかりましたが無事に阿弥陀堂を参拝して予定していた行場すべて無事に参拝することが出来ました

 

大山寺中興といわれる豪円の名前を取った豪円湯院という日帰り温泉で汗を流し、次は一路英彦山へ向かいます

 

2019年

4月

29日

白龍大神春季大祭

28日 坂本教会の春季大祭を仕えさせて頂きました

 

去年に御信徒から、鳥居の傘が割れたままになっているのを修繕させて頂きたいとの申し出がありましたので、見積もりを取り、御篤志を集めて今年の4月4日に新しい部材を据えて頂きました

 

そして、境内に坂本教会の御守護神たる白龍大神の御塚を建立して、今年は奇しくも40年の節目の年に当たります

 

節目のお祭りを境内の御塚前に老いて賑やかに執り行いました

 

新たな鳥居と節目のお祭りの御徳で、神様はより稜威を増して、令和よりの新しい時代と共に徳を積んだ信徒皆様を御守護下さることと喜んでおります          拝

2019年

4月

23日

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2019年

4月

21日

春季大祭

21日 年毎の春季大祭を仕えさせて頂きました

 

19日、20日と連日のご奉仕を頂き、準備も天気も無事に御守護頂いた中に管長殿をお迎えして賑々しく祭典を仕えさせて頂きました

 

5月1日より、いよいよ令和の御世となる節目の時期の大祭でしたが、神様のお心に添い天下泰平と新しい御世の安寧を御祈願申し上げて、その土台の上にある皆様の暮らしや祈願の御守護をお願い申し上げました

 

新しい時代の節目に教会も御信徒も山場・節目を迎えますが、神様や霊神様の導きで必ず良い方へ歩ませて頂けることを確信しております              拝

 

 

 

 

 

 

 

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