今年の大きな行事である4月の百十周年記念大祭と8月の御神火奉仕も無事に終えて、8月はやれやれと思って過ごしておりました
そんな折、急遽 阿波国剣山に登拝をするよう普寛様のお告げがあり、しかも大峰山登拝の前に仕えよ、との無茶ぶりで急いで用意をして登拝をすることになりました
剣山の名前は今までも耳にしていましたが、いざ登拝となるとどのような道筋で行をするべきか考えねばなりません
今は見の越というところに剣山神社と万福寺がありそこからリフトが1700メートルまでありますので、1時間ほど歩けば頂上へは行けてしまう山でもあります
かつては立石山と呼ばれて、山中の大きな岩塊(大劒神社御神体)が劒のように見えるという事で、平家が安徳天皇を奉じて再起を図り、宝剣を納めたので剣山と名がついたという伝説もありますが、剣山と呼ぶようになったのは江戸期からのことでした
室町までは山伏が登る山ではなかった剣山を龍光寺が行場や宿の開発と講参りの道筋を整えて一躍有名になったようです
初めての登拝でしたので、いろいろ調べた結果 コリトリとう麓から龍光寺を経て一の森~剣山山頂を目指す事としました
26日 4時に教会を出発 9時前に槇渕神社へ到着し、祈願の後 目の前の穴吹川で水行
コリトリに車を置き、龍光寺を目指し登拝開始
車道もあるのですが、初めての道が上まで行けるかどうかは不明でしたので登山道を歩きますがのっけから急な坂道ばかりで、龍光寺まで90分ほどかかりけっこうなキツさです
かつては栄えた境内は護摩道場や水行場、大きな本堂など立派なものでした
龍光寺でかつて出していた軸の御本尊を基本として、剣山の行場の勤行の折に尊名をお唱えしました
先を進んで剣山本宮神社を経て一の森を目指します
手入れされた檜林の中ですが道が分かりにくくテープや杭などを目当てに進んでいきます
追分分岐~一の森へ登っていくとだんだんとシコクザサが目立って一の森周辺は笹原の高原のような風景になりました
一の森からは稜線をつたって山頂へ行くのですが、途中「行場」という岩屋や窟の集中したところがあり、そこを修行してから山頂へ、と思っていたのですが、すでに14時をまわり、宿には16時までに一度入らねばならないので直接頂上へ向かいます
平家の馬場と呼ばれる笹原(かつて剣山は小篠の権現とも呼ばれて、大峰にも小篠という行場があり、影響があるのかなと思いました)を見ながら剣山頂上ヒュッテへ到着
コリトリから来たというと、「ご苦労様です」と返してくれたのでやはり厳しい道なのでしょう
少し時間がありましたので、頂上の三角点を拝してヒュッテの目の前にある剣山本宮宝蔵石神社に参拝
さらに少し下ったところにある大劒神社へ参ります
巨大な岩塊に息をのみつつ引き寄せを感謝し、二名で積ませてもらったここまでの徳をお捧げ申し上げました
近くの御神水を頂いてヒュッテに帰着 17:30からの夕食にはアマゴの天ぷらがあって大変美味でした
夕日を拝して就寝 剣山は光害が少ないところとして天体観測などイベントもするほどですが疲れていたので見ずじまいでした
27日 5時に出発して前日行けなかった「行場」めぐりへ
ロープウェイ駅から登ってくる道を下がっていくと枝折神社と刀掛けの松(安徳天皇が刀を枝にかけて休まれたという)があり、そこから横へ進んでいきます
鶴の舞(大峰の覗きと平等岩を合わせたような行場)~不動の岩屋からお鎖と行をさせて頂きましたが、険しい危険な行場ばかりでこの行場を開かれた先人の行に感心します
胎内くぐり行場は降り道が分からず、逆から遡っていって道が分かりましたがただの崖にしか見えない道でした
アリの戸渡と千筋の手水鉢は遥拝として両劒神社と古劒神社をお参りして行場めぐりを無事に終えました
両劒神社の脇は穴吹川の源流の沢があり、渇きを潤すのにありがたいことでした
行場から一の森へ向かい、来た道を戻っていきます
急な下り道は足に堪えますが事故なく無事に下山 満行することが出来ました
二日目の朝はガスが出ていて、足元が濡れていてはとても行が出来ないところでしたが障りなく無事に初めての登拝を出来る限り仕えられて安心しております
帰着して翌日からは大峰山登拝です!二つの山を連荘は立山白山ばりに厳しいですが頑張ります! 拝
南無劒大権現